私,縁あって,某看護専門学校の病理学の講義をさせて頂いております。
日本の医療業界では,病理学は「疾病の成り立ちと回復の促進」という         
モノ問いたげな名称の教育カリキュラムの中に含まれています。         
最初の講義では,御挨拶代わりに,20ウン年前,病理学教室に入局して         
はじめて執刀した解剖症例について,お話ししています。         
42才の看護師さんの死亡例で,B型劇症肝炎で亡くなられたのですが,         
2度目の針刺し事故を起こした際に周囲に打ち明けることができないまま,         
発症してしまったという事でした。B型肝炎の針刺し事故直後に発症予防に         
γグロブリン注射をしますが,これは受動免疫なので,もう1度針刺し事故を         
起こした時には,やはり治療しなければ病気になってしまうのです。         
昔から同じ人間が似たような過ちを繰り返してしまう傾向が,様々に指摘         
されてきましたが,実際,ほんの些細なミスが「死」を招きかねない業界         
に就職してしまったのだという事を確認して頂くためです。         
目に見えない危険に対して,本当に人間は無防備です。         
何だか判ったようなエラソーな事を申しておりますが,私にとっては         
人生初体験の解剖です。皮膚の縫合が終わりに近づき,ホッとして緊張が         
緩んできた頃に「痛っ!」         
そうです。自分の手を針刺してしまったのでしたぁぁぁ。。。         
γグロブリンを打たなければ,ほぼ間違いなくB型劇症肝炎を発症すると         
考えられる状況であります。大量の水道水で傷口を絞るように洗い流し,         
即刻退場。自分には適性がないのでは?,おっちょこちょいを矯正しない         
限り,命が幾つあっても足りないかも?(うっひゃあ,なんてこったい)         
点滴を見上げながら,涙目になってしまいます。         
亡くなられた看護師さんが,1度目の針刺し事故で同じ様に悩み,2度目の時         
には,自分の失敗をとりあえず黙っている事にしたのだと,分かりました。         
もしも同じ過ちを繰り返してしまったら,どんなに馬鹿にされようと告白         
して,1本何万円もの高いγグロブリン注射をオネダリでるかどうか?         
病理解剖には「分かる範囲で主治医の臨床上の疑問に応えなさい」という         
目的があり,相当に悩まれたのでしょう,若い研修医の先生が「どうすれば         
患者を救えたか?」という「病理医に質問しても無駄だから,聞かない方が         
いいよぉ・・・」的な模範例文を書いておられました。         
さて。現場の常識として,近年,私達はこの答えを知っています。         
命にかかわる感染症を実地体験して,自分の免疫能力を試す必要はありません。         
ワクチンを注射してもらって,能動免疫をつくっておく。免疫能力は免疫担当         
細胞の経験値の問題であり,若さや体力などの一見元気=健康的である事とは,         
あまり関係しません。サイトカインストームなど過剰反応の可能性もあります。         
院内感染への関心が高まり,罹患歴やワクチン歴の不明な医療従事者には,B型         
肝炎,麻疹,水痘,風疹,ムンプス,インフルエンザの6疾患のワクチン接種が         
望まれています。己の免疫能力を省みず,無謀にも,この業界に就職してくる         
チャレンジャーな人々がいる事は頼もしく,大変にありがたい事です。
しかし「粗忽」が医学的に治療不可能な疾患である事は明らかですから,         
病理医に仲間の解剖をさせてはいけません。         
ここはひとつ国家的な御理解と補助金を宜しくお願いします。